自由が丘 奥沢 世田谷区
おかじま接骨院の岡島剛です。
そもそも私がこの業界を目指したきっかけと、開業してからどのようにして今があるのかをお話させていただきます。
私は群馬県伊勢崎市出身で、車関係のサラリーマンの父と専業主婦の母、二つ上の姉の4人家族で育ちました。
今の職業とは全く結びつかず、スポーツとは無縁の小学生時代を過ごします。
しかし中学に入り、姉が先に入っていたという理由から柔道部に所属します。
高校進学後も柔道部があれば柔道部に入部する予定でしたが、私の進学した学校には柔道部がありませんでした。
そこまで入りたいと思う部活もなかったため、友人からの誘いでバレーボール部に入部することになります。
私はその当時、身長が低く、ジャンプ力もなく、スパイクを打つのも苦手でしたが、レシーブは比較的得意だったので、
ボールが床に落ちないようにひたすら拾い上げるレシーバーを担当していました。フライングをよく練習していた記憶があります。
入部後2ヶ月が経過したころ、部活で遠征に行くことになりました。その帰りに友人宅へ行く約束をしていたため、友人宅のある馴染みのない駅に降り立ちました。
駅を出たところで、「行くぞ」という低い声と共に背後から人が近づいてくる気配を感じて、目の前に停まっていたタクシーの窓を見ると二人組の高校生が映っていました。
近づいてくる二人組。私はボールがいっぱい詰まったバッグを背負っていたため走って逃げられない状況で、あまりの恐ろしさに目の前に停まっていたタクシーに乗ってしまったのです。
その時、お財布に入っていたのは500円くらいで、「行けるところまで行ってください!」と、必死にタクシーの運転手さんへお願いしました。
タクシーが発進した瞬間、安心と共に悔しさが込み上げてきました。
「なぜ逃げてしまったのか。他に手段はなかったのか。」
後悔とともに自分の情けなさに
「こんなことではダメだ、自分を変えたい!」
そう思い、父が若い頃習ったことがあると言っていた少林寺拳法を習うべく、自ら道場を探し門を叩くこととなります。
それからはバレーボールと少林寺拳法で高校3年間を過ごすことになりましたが、
その中で師匠となる先生から沢山のことを学びました。
強さ、優しさ、厳しさ、楽しさ、頼もしさ。
自然と人が集まってくるような人柄に触れ、少林寺拳法の先生は自分の憧れの存在になりました。
先生は道場の運営と共に日中は併設された治療院もされており、
私も「先生のようになりたい」といつしか思うようになり、それが柔道整復師という職業を知ったきっかけとなって、この道に進むことを決めた理由となりました。
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